2024/04/13 ブログ移行を機に少し文書を修正し更新。
2022/07/03 30歳になって記事を新規作成。
1社目
大学の推薦で通信業の電気設備を管理する会社へ入社。元々の人生計画は、「安定した収入と転勤が少なくホワイトな会社でのらりくらり生きていこう」という考えであり、ある程度知名度があり安定した会社だったのが入社の決め手。採用は全国採用とブロック採用で別れており、自分はブロック採用を選んだ。しかし、このときの見積が甘かったのが1社目と決別する最大の決め手となる。(元々全国採用であったならば今も在籍していたかと思うが、低学歴の自分であればまず採用されなかったかと思う)特段会社を否定するつもりは全く無く、優秀な方々が多く在籍している中で、お世話になった関係者は数知れず。本当に感謝しかない。
電気保全として約5年ほど在籍するうちの1回目。仕事内容は通信設備に供給する受配電設備や非常用発電機、その他電源装置の維持管理。自分が担当していた地域は約30拠点ほどあり、そのほとんどは6600V受電で100kW~2000kW程度の需要設備である。統括制度で電気主任技術者の維持管理をしていて、監視体制も超充実しているおかげか、3か月に1回の巡視点検、3年に1回の年次停電点検が基本。その中で年10か所ほどの停電作業を計画し、遂行するのが主な仕事。また、設備1つ1つに伝送機能を持っており、監視センタの集中管理と協力して、故障の応急対応、本復旧を行っていた。工事管理も任されることがあり、受配電更新は徹夜することもあった。
配属されて早々に停電作業を計画しろと言われたのは今でも鮮明に覚えている。入社してすぐの設備を知らない自分に作業内容やスケジューリングが分かる訳ない。そこで、過去の資料から設備概要や作業の根拠、社内ルールを調べることに時間をかけ、吸収することに徹した。当時関わって頂いた上司が優秀だったので、疑問質問を投げかけやすい環境だったのも運が良かったかと思う。迷惑をかけながらも、無事に事故もなく完遂できた。停電制約も非常に厳しい環境で失敗すると重過失になりかねないので、電気の供給が会社の生産活動に直結するということを身を持って体得し、転職した今でも大事にしている。
会社が電験3種の資格を重要視しており、毎度プレッシャーをかけられていたのも覚えている。そもそもこの資格を取得しないといくら仕事を頑張っても昇級できないと言われていたため、仕事外の自己研鑽はここから始まったと思う。飲み以外の仕事帰りは毎日1時間カフェで勉強したのは懐かしい。1年目で理論電力、2年目で機械法規を科目合格し、無事に資格取得できた。仕事に直結する内容が多くあり、結局仕事を円滑に進めるためには前提の基礎知識をしっかり培うことが大事だと学んだ。
電気設計
電気保全の期間中、OJTや応援という形で計1年ほど電気設計に駆り出された。長い期間在籍した訳ではないので、スポットでできる直流電源装置・蓄電池の新設更新撤去を任されつつ、たまに先輩方の支援で配電盤や非常用発電機の更新を手伝った記憶がある。
まず大変だったのはどの拠点も更新スペースがないこと。スペースが無い中で将来構想があって保全が苦労しないレイアウトにしないといけない。上司とかなり練った記憶がある。方法論をたくさん得たが、一番は自分の視野の狭さをメタ認知し、報連相を徹底することが重要だと知った。
予算や期間もある中で無駄なことをせず、仕事の最適化も求められた。標準化が徹底している会社だったので、基本設計の手法は基本一律であるが、容量計算等バックデータの準備や詳細仕様調整は地域や担当者で様々だったのは覚えている。同じ設計者でもできるできないの差はここで生まれていたが、私個人としては同じ部署で差が生まれるのは好ましくないと思い、既存の計算書を見やすく幅広く簡単に使えるように変更し、可能な限り自動化を組み込み、周囲への共有を心掛けた。そのうえで最終的に行きつく先は、泥臭くやるべきタスクをを一つ一つ確実に消化することが何より重要と感じた。タスクをサボるとどこかでボロが出て結局設計変更になり、多大な時間を要する。それを間近で経験したことはいい体験だった。設計だけではなく、どの仕事でも通じる話であり、今の自分の礎かもしれない。
電気保全として約5年ほど在籍するうちの2回目。設計も覚えて粗方の設備も覚えてきて一番油が乗っていた時期かと思う。人の入れ替えが激しい会社だったため、3年目頃から年間計画の立案を任され、上司に頼らずともほぼ仕事をこなせるようになった。
統括性のもと電気主任技術者(一般的な表現では「担当技術者」)として、10箇所ほど選任された。現場に加えて事務作業も膨大に増えた。当たり前だが電気事業法は自主保安で保安規程に則った点検を実施しないといけないので、品質管理に苦慮した。点検者だけでなく選任外の主任技術者の確認品質に濃淡があるため、部署として水準を保つために選任以外の拠点もほとんど管理し、年1の社内監査に備えた。後に県域全体も管理するようになったので、部署内でしっかり磨き上げられたのは本当に良かったと思う。
他の資格業務としては、3年目にエネルギー管理士(電気)を合格し、省エネ法上の報告業務も行った。自分の担当は電気買電のみの拠点だったので、他所と比べると熱蒸気等の記載は無く、比較的容易で基本を抑えやすかった。
部署が絶え間なく活動するにあたって後進の育成も重要だと感じた時期でもある。教えるためにはそもそも自分が知識を増やしていかないといけないので絶えず勉強を続け、そのアウトプットを後輩にも簡潔に説明することを心掛けた。アウトプットすることにより、自分のスキルを更に磨くいい機会でもあったが、同時に失敗した経験として「教えすぎることは良くない」という教訓がある。経験上、アウトプットのしすぎで却って後輩の自分で考える・調べるという行為を放棄させてしまい、指示待ち人間へ誘う反面がよくあった。教える立場とは、その人間の人生も左右する重要な要素を多少なりとも握っており、会社の責任より重いかもしれない。そのようなリスクを孕んでいることを決して忘れることはないと誓った。
この頃は結婚して子供も生まれたため、今後の自分の人生を考える転機だった。自分を過大評価するわけではないが、会社の中では常に最高の査定評価をもらっており、社内の技能大会では先輩と優勝もした。そういう過程の中で元々の入社きっかけである「安定した収入と転勤が少なくホワイトな会社でのらりくらり生きていこう」という価値観が徐々に崩れ出していた。ブロック採用であったこともあり、自分のスキルに対して給料が割に合ってないと感じ始めていた。一人暮らしであれば生活に困らない収入であったが、子供を養うとなると話は別。では自分のスキルに対して多くの対価を貰うためにはどうすればよいか。結果、転職市場で自分の価値を測ってもらうことが一番だと思い、転職サイトに登録して転職活動を並行して始めた。同時に県域全体の電気保全を統括する部署へ異動となる上に、共働きで子供を保育園に預け出したことで忙しさが頂点を極めた時期でもあった。
県域電気保全統括
OJTも含めて約6か月程度しか経験していないが、今の自分の仕事と似たところが多々あり、もっと早めに経験しておけばよかったと未だに思う。書けることは少ないが以下にざっくりと行った業務を羅列する。
- メーカや協力会社への定期点検を一括発注、予算管理(会社の特性上、事業場数が膨大なため包括的に実施)
- 予算確保に当たり、営業がやるような親会社への見積書作成や契約処理、稟議資料の作成
- 重大トラブル発生時の連絡体制を確立、統制
- 電気事業法や省エネ法を県域全体で統括
短い期間の割には色々と経験できて本当に良かった。欲を言えばもう1年早く在籍して、業務をブラッシュアップできればという悔いは残っている。自分が会社を辞める時は、急遽異動してきた優秀な後輩に仕事を割り振ったが、在籍も短いので中途半端な引継ぎをしてしまったのは苦い思い出である。
転職活動
転職サイトは自分の履歴書や経歴書を書くのに一苦労するが、様々な会社を俯瞰できるのは意外と楽しい。自分の経験や資格を転職サイトに登録し、電気設備管理で地元に近い企業を希望するとすぐさまエージェントから電話があり求人を紹介された。
何社か選考を通ったが年収は+100万~150万を希望していたので、条件面でお断りもした企業もある。そうやっているうちに地元付近に希望する条件の企業がないことに気付き、エリアを全国に広げて求人を紹介してもらった。今宵ネットで娯楽は溢れており、飛行機や新幹線で帰省に多大な時間を要することも少ないので地元に拘る必要はないと考えた結果である。(転職後、コロナウィルスが感染拡大したが、特に不便に感じることも無く、どこでも住んでいけるなぁと自分の考えの答え合わせができた)その後、条件に合致する企業が増えて応募し選考通過、家族の了承も得て決意を固めた。
当時の直属上長に会社を辞めることを伝えたときはがっかりされたのを覚えている。しかし、同時に応援もしてくれて改めて尊敬の念を抱いた。無理に引き留めようとしてくる幹部もいたが、「替えはいるだろう」と伝えて振り切った。それぐらい意志は強い方がいい。結局誰かが抜ける部分は誰かがカバーするという会社の構造はいつの時代も普遍的であり、近年の転職市場で流動性が高まっても同じである。だから、仕事仲間への思いは残しても会社への情は一切捨てた。
転職活動を振り返ると、転職市場で更に価値が高くなる第2種電気主任技術者に合格してからもっと時間をかけて企業分析をしてもいいかなと思ったが、仕事をする上では資格よりも経験や実績を積むことが大切だと思うので、早めの決断をして正解だったかと思う。
2社目
前職を活かして2社目も電気設備管理ができる会社に入社。違う点としては通信業ではなく、製造業となった点であり、所謂工場の管理となった。会社特有のルールやフォーマットに慣れるのに多少時間はかかったが、電気設備を管理するという点は同じであり、周囲の人間にも恵まれてあっという間に馴染めた。
転職してきた身なので一層努力しないといけないと思い、1年目に第二種電気主任技術者、2年目に第一種電気主任技術者を取得した。毎日の自己研鑽を欠かさず行ったのが功を奏した。一種に関しては正直今でもまぐれだと思っているが、この知識を活かして今後は周囲のレベルを底上げしていきたい。
業務内容としては、発電所の管理を1年経験した後、全体統括業務、技術検討、予算立案、電気主任技術者の専任を担当して2024年4月現在も奮闘中。